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日本橋


 

 

麒麟の像が見守るこの重厚な橋は、橋長49mの石造2連アーチ橋で、日本国の道路の起点でもある。

江戸時代初期に徳川家康によって架けられ、その後幾多の消失架け替えを繰り返し、現在の日本橋は明治44年に完成した。

ルネッサンス様式のデザインで、橋の4隅およびアーチ中央部の4箇所に「花形ランプ付方錘柱」という青銅製の街灯があり、その明かりの下麒麟たちが周囲の一点を凝視している。

明石海峡大橋やレインボウブリッジもこの橋の前ではお手あげである。

また、「日本国道路元標」は日本橋の中心に設置しているので写真撮影が難しく、「元標の広場」に設置している複製を「東京市道路元標」とともに表示した。

 

2023年10月01日

岡城址と大阪城

令和元年NHKで放映された日本の「最強の城」に選ばれた豊後の国の岡城。断崖絶壁に築かれた石垣とその上に建てられた岡城は難攻不落の堅城と謳われた。地方の小藩であるからこそ実践に備えた力強さを感じる。九重連山を背景に、この石垣の上にかつて建っていた岡城を想像すると戦国の猛者とその栄枯盛衰に心が揺れる。

同じ石垣でもその規模は比較にならないくらい壮大な大阪城。現在目にする石垣は徳川家がその威信をかけて豊臣秀吉の「大阪城」に覆い被せたもの。石の種類、大きさ、質ともに江戸城と並ぶ日本の代表格だ。それでも大阪城と聞けば豊臣秀吉。その栄華と没落のロマンが埋没された土の中から漂ってくる。

岡城址(2020/3)  大阪城(2019/11)

2020年09月05日

軍艦島(端島)

2015年に世界遺産に登録された長崎の軍艦島(端島)の見学に行った。予てから、コンクリートの劣化の現状をこの目で確かめたかったので、やっと念願がかなった。台風などの過酷な環境の中、護岸の一部が倒壊しているにもかかわらず、特に1916年に建造された日本最古のRC構造高層集合住宅の30号棟は、その姿をかろうじて維持し続けている。コンクリート工学会等が調査した結果を見ると、中性化による影響というより塩害による鉄筋の腐食膨張による劣化が主ということだ。当時、コンクリートの骨材に海砂を使用し、真水の摂取が困難なこの地ではコンクリートの使用水にも海水も使用していたと言う。重ねて、常に潮風にさらされて、台風等の強風時には直接波を受けることになる。内的、外的塩害にさらされ続けて、よくぞこここまで絶え忍んできたなあと喝采を送りたい。

また、この島の歴史を振りかえった時、現在の日本の繁栄は、このような過酷な環境の中で命がけで生活をしてきた人たちの上に立っているということを改めて認識し、我々のこの社会における役割と責任を考えざるを得ない。

2017年05月07日

工場拡張工事 完成

去る3月20日に「(株)S工業工場拡張工事」が完成した。

工場の稼働を停止させることなく、特殊工法を含む多工種を短期間で完成させた。

工場隣接の丘には市営の公園があり、遊歩道を確保しながら軟弱地盤の土留め工法の施工は困難を極めたが、無事無災害で完工することができた。

 

2017年03月29日

第1回 道脇建設CUP 2016

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12月3日、澄み渡る青空の下、**第1回 道脇建設CUP 2016 **が臼杵カントリークラブで開催された。参加者は少なかったものの、気持ち良い秋風の中でのプレーは、日ごろの仕事のことなど一切忘れさせ、心身ともにリフレッシュする事ができた。圧巻は川野さんの5番ホール(200ヤード谷超えショートホール)でのワンオン!!見事ニアピン賞を獲得した。

2016年12月26日

アルカリシリカ反応?

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JR豊肥線犬飼駅のホームでいつも何気なく眺めていた重力式擁壁。あれ!これってアルカリシリカ反応(ASR)?苔類や真菌類で汚れているため判りにくいが段差のある巨視的なひび割れと白色のゲルの滲出が見られる。大分県北部地方ではASRの報告があるが、この中部地方では珍しいのではないか。しかし最近の文献によると、反応性骨材の分布は大分県中部から北西部に多いと報告されており、この重力式擁壁が高度成長期の昭和30年代から昭和40年代に施工されていると考えると、JR豊肥線の沿線上にASRが見られても不思議ではない。ただ無筋構造物である場合、鉄筋の腐食や曲げ部の破断等による構造物の耐荷力への影響は少ないと予想されるが、ASRによるコンクリート構造物の劣化が近隣の主要構造物に及んでいる可能性があり注意が必要である。

道 脇 哲 郎 

2016年09月25日

明治橋

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日本最古の現位置に存在する道路用鋼桁橋である。

明治35年に、大分県臼杵市野津町の現位置に架設された橋長32.6mの2連単純2主鋼桁橋である。当時日本にはほとんど製鉄技術がなく、この鋼製桁はイギリスのDormanlong社から輸入されたものである。

建設から100年以上経った現在でも人道橋として供用され続けており、この地に生活してきた私たちには普通の橋であった。しかし、その架橋の歴史と意義、そして当時の土木技術の高さ(合成床版構造であり現在でもコンクリートの圧縮強度は18.6~25.4N/mm2)を考えると、この明治橋の偉大さに脱帽せざるを得ない。また、橋台や橋脚の石積建造技術は構造力学の観点だけでなく芸術性の高さが伺われ、近接する仮屋橋(安政橋)との景観は、我々土木技術者の奥底に眠っている新鮮な熱意を奮い立たせる。

経年劣化における損傷度は低いといっても鋼製桁の腐食や床版に発生している水平ひび割れを考察すると、今後さらに劣化が進行すると考えられる。

この貴重な土木遺産を保存し、さらなる調査を行うことによって、今後の維持管理等の技術の向上を図ることが我々に与えられた使命であると考える。

道 脇 哲 郎

※ 参考文献 現存する日本最古の道路用鋼桁橋 ~明治橋(大分)~建設の謎と損傷度調査     日 野 伸 一

2016年06月30日